祭屋台のご案内
- 屋台曳行
- 天下の奇祭といわれ全国に名を馳せる古川祭は、町内に鎮座する気多
若宮神社の例祭で国指定重要無形文化財にも指定されている400年
以上続く伝統神事である。
祭は神社本殿での神事、および古式ゆかしい「御神輿行列」が中心と
なって、“動”の「起し(おこし)太鼓(だいこ)」と“静”の「屋台行列」が二大
祭事として加わり、3つの行事により4月19日、20日と2日間に渡って
盛大な時代絵巻が繰り広げられる。


- 祭りの朝、気多若宮神社より御分霊をお迎えし、これを屋台の上段
正面に御幣と共に安置します。この屋台だけが屋根がなくて、上部
に金色の大太鼓を吊り、烏帽子、直垂姿の五人が奏する神楽囃子
に合わせて二頭の獅子が舞い、屋台行列の先頭に立ちます。
また外御所車と中車で三輪という珍しい屋台で、金色に輝く鳳凰が
乗った大太鼓を大きく体を反らせて打つ様子は圧巻です。

- 文化年間の屋台は明治二四年に廃台となり、大正十一年に改築
完成した大正期を代表する屋台です。名前のとおり屋根の前後
に大鳳凰が金色に輝き目を引きます。
下段には初代村山群鳳の竜と越中井波の大島五雲の竜の白彫
が競作の形となっていて、これらの彫刻を防護する金綱は、一本
ごとに溶接という高度な技術によって作られています。
見送り 長谷川玉純 「鳳凰飛舞の図」 大正十一年

- 創建は定かではありませんが現屋台は九ヶ年の歳月をかけて
昭和八年(一九三三)に完成しました。
唐子が運ぶ花籠から花が咲くと、獅子頭をかぶって乱舞するから
くり人形があやつられます。中段の側面には、十二支の彫刻がつ
いているので自分の干支を探してみるのも楽しいでしょう。
見送り 前田青邸「風神雷神図」 昭和二七年
替見送り 玉舎春輝「日本武尊東征図」 昭和八年

- 安永五年(一七七六)に建造の記録が残っていて、これが古川の
屋台の中で最も古い建造のようです。
現在の屋台は天保一二年(一八四一)に再建された古川で最古
の屋台です。
金具や彫刻、刺繍などに楽しい亀がたくさん使われていて昔の
人の創造力の豊かさを感じさせます。
見送り 純金の糸を織り込んだ天竺からの船来のゴブラン織
「双龍図」 天保十二年
替見送り 鈴木松年「亀上浦島の図」 明治四十三年

- 明治十九年(一八八六)竣工の古川で最も大きい屋台です。
大きな昇龍、降龍の彫刻がひときわ目をひきますが、下段に信濃
国諏訪清水寅吉の竜の彫刻があり、屋台建造当時の信州との交
流をうかがわせます。中段側面にはこま回しや凧上げなどの昔の
子供達の遊びが克明に彫られていて、楽しさも合わせ持つ屋台
です。
見送り 垣内雲燐 「雲龍図」明治十九年

- 日、月、星の三光に因んで名づけられたこの屋台は、当町の蜂矢
理八の設計のもとに、名工石田春皐により文久二年(一八六二)
に完成したものです。やや小ぶりの形は、こじんまりとした町並み
に見事に調和しており古川の屋台の特色を最も表しているといわ
れています。
越中井波の名工大島五雲の白彫のぼたん獅子と、網代に獅子
紋散らしの浮彫が見事です。
見送り 幸野楳嶺「素戔鳴尊八岐大蛇退治の図」明治二十一年
替見送り 松村梅宰「虎図」文久二年

- 文政初年(一八一六)創建ですが改築を重ね、現在のものは大工
上谷彦次郎により八年間の歳月をかけて昭和十六年に完成しまし
た。中段の蜂矢理八の牡丹と唐草の彫刻は一木彫の見事なもの
で、この屋台の自慢です。清曜とは清く輝くという意味で、華やかな
中にも清楚な感じのする屋台です。
見送り 今尾景祥「海浜老松図」昭和二十一年
近衛文磨「八紘一宇」 (書) 昭和十五年

- 天保十三年(一八四二)に完成した屋台を昭和五十六年から三
年の月日をかけて大改修したものです。
上段正面には源義経の武者人形を飾り、中段の舞台では子供
歌舞伎「橋弁慶」が華やかに可愛らしく奉納されます。
また彫刻や金具による装飾が少ないことや、下段が立ち姿で出
入りできるほど高いことなど、唯一古い形態を残していて、たい
へん貴重な屋台となっています。

- 金森氏の家紋の梅鉢を台紋とするこの屋台は、黒塗りに金箔模様
の優雅で美しい外御所車が特徴です。
また樹齢千年のけやき材の牡丹獅子も見事です。謡曲「鶴亀」に
合わせてあやつられるからくり人形は大津絵「外方の梯子剃り」を
題材としたもので、福禄寿の肩にかけた梯子を唐子が登り、亀が
鶴に変わる巧妙な糸からくりです。
見送り 堂本印象「昇天龍」 昭和十五年

- 明治三十七年の古川大火により廃台となり、女三番叟のからくり
人形と猩々緋大幕のみが残っています。このからくり人形をモデ
ルにした「平成のからくり人形」(八代目玉屋庄兵衛作 は飛騨
古川まつり会館でコンピューターにより毎日実演しています。













